2011年2月9日水曜日

日本でのブランド神話は崩壊したのか?

Louis Vuitton・Gucci・PRADA・Dior・MaxMaraなどなど

名前を聞けばすぐに該当ロゴが思い浮かぶほど強烈なインパクトを持つ高級ファッションブランド。

 僕が学生の頃はそんなファッションブランド全盛期のなごりがあった。バブル時代に信仰されたブランド群は、高校生や大学生でさえなんとか手に入れようと、中には自分の体を売ってまでブランドを買い漁るという光景すら珍しくなかった。

フランスへ旅行した時にLV本店へも行ったが、顧客の中で日本人の占める割合が多いのには驚いた。

かく言う僕自身、当時はプラダやグッチのスーツを買ったりヴィトンの財布やカバンを持っていたし、車は輸入車だろ!?ということでBMWやアウディに乗っていた。


 バブルの頃ブランド乞食とも言われた日本人のブランドに対する価値観というものはどのように変化しているのだろうか?

長引く不況から、有名ブランドの売り上げはかなり落ち込んでいる。
その代りといっては語弊があるが破竹の勢いで成長している廉価ブランド。
ユニクロやGAP、H&MやForever21など安価ではあるがファッショナブルなブランドが台頭してきている現在、ブランド信仰とはどのようなものになっているのだろうか?

基本的に日本人には自分のスタイルというものを持っている人が少ない。
マスゴミに踊らされる人が多いのもそのためだ。

服装やライフスタイルに関しても同様で、「私はこのスタイルが気に入っているから」と自信を持って言える人がどれだけいるだろうか?音楽や生活に関してもそうだ。


 着ていたり、所持しているブランドで自分らしさを表現するというのは、実は意外と難しい。本来、ブランドというものはその歴史であり、モノヅクリに欠ける情熱などを理解する人が持つものだと思うのだが、僕も含め日本人のブランド信仰はマスゴミ信仰であるとも言える。

露出の多いブランドほど有名ブランドであり、持つべきものであると考える人のなんと多いことかw

正直言えば、ブランド名だけでカスのような商品を日本で販売しているメーカーは多数存在する。
それでも日本では売れてしまうとういうのが国民性であり、悲しさでもある。

 それならばブランドというのはどのように使うべきなのかという話になってくるのだが、僕はスタイリストでも服飾デザイナーでもないのでよくわからんのが本音である。

 それでも、ブランドの持つ価値は製品に対するこだわりであり、品質にあると思っている。ブランド品のビニールのバッグに数万円払うくらいなら、質のいい革で仕上げたノーブランドのBAGを持つというのも、その人のスタイルだし、カッコイイと思う。

ブランド信仰がマスコミ信仰になっている日本で自分のスタイルを持つというのは非常に難しい。下手をすると「ダサい」と思われてしまうからだ。そこで思うのは、ブランド1点主義。これはいいんじゃないか?と思った。

俺のトレードマークはこれだ!と言えるブランドを作る。ってこと。

香水でもいいし、バッグでも服でもいい。「これは拘りを持って身につけている!」と言えるものを持つというのが、大人なブランド信仰じゃないのか?と考える。

別に高額ブランドである必要はない。

ドメスティックでもインポートでも質のいいものを”わかる”大人が増えたらカッコイイ生き方の大人も増えるんじゃないかと思うのである。

それには、”このブランドに釣り合う人間になりたい”という思想的な部分も成長できるのではないだろうか。

体を売って買う見せかけのブランド信仰から、今の自分を投影するブランド信仰へ
日本人のブランド信仰が、よりいいモノを発見する目と質を理解できるあたまを持つことができれば、閉そく感が漂う現代社会ももう少しましなものになるかもしれない。

あ・・・ちなみにこれはあくまで個人的な意見ですので あしからず・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿